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「エンジニアが幸せになる会社にしたい」受託開発から、自社開発への転換。

イントロダクション

── こんにちは。採用広報の島津です。今回はメグリ株式会社さんとの合同記事です。
メグリさんもTOWNも、どちらも受託開発から自社開発へ転換したという共通点があります。本企画では「受託開発から自社開発へ」をテーマに、前編後編にわたってお伝えしたいと思います。

前編では「なぜ受託開発から自社開発に転換したのか」や「転換期の失敗談」などを詳しく聞いていきたいと思います。

<語り手>
トークゲスト
篠田さん:メグリ株式会社 Product Division Planner
岩崎さん:TOWN株式会社 プロダクトマネージャー
インタビュアー
松岡さん:メグリ株式会社 HR
島津  :TOWN株式会社 採用広報 


プロダクトについて

島津:まずは、簡単にプロダクトの紹介をお願いできますでしょうか。

篠田:社名の通り「MGRe(メグリ)」というサービスです。モバイルアプリの開発から運用マーケティング活動までサポートするモバイルアプリプラットフォームです。

メグリの特長として、アプリをつくることがゴールではなく、そこからがスタートだと考えています。顧客とアプリを通じてどんなコミュニケーションを実現したいのか、その理想の実現のためクライアントと共にアプリを育てていくことを大切にしています。

島津:なるほど!ありがとうございます。岩崎さんもお願いします。

岩崎:「クロジカ スケジュール管理」(2023年3月28日に「Aipo」から名称変更)はビジネス向けのスケジュール共有アプリです。

建築系の業界とか介護系の業界とか、そういう 1つの箇所に人が集まらないで、複数拠点を持つ方たち、バラバラの場所にいる人たちが、予定の共有とかをしやすくするためのツールです。 今は1,800社で導入していただいていて、約3万人のユーザーに使ってもらっています。

メグリ株式会社 篠田さんのこれまでのキャリア

島津:続いて、お二人のご経歴をお話しいただけますでしょうか。

篠田:2014年に株式会社ランチェスター(現、メグリ株式会社)に入社しました。それまでは、様々な会社で新規事業を担当していました。前職では会社の方針転換があり、この先新規事業に携わることが難しそうだったので、他の会社を探してる時にたまたまメグリに出会いました。

今まで受託開発の会社が新規事業をやるという新しい挑戦だったので、立ち上げ自体もなかなかうまくいかず、試行錯誤していました。そして今のアプリプラットフォームの事業をやるようになり、最初はセールスとして入ってましたが、2020年あたりからは仕様設計や企画として入ることなりました。今はそちらをメインにしています。

TOWN株式会社 岩崎さんのこれまでのキャリア

岩崎:僕はTOWN創業の1年後に入社しています。「クロジカ スケジュール管理」自体は会社立ち上げの当時からありましたが、自社サービスだけでは全然売り上げが立たないので受託開発をしてお金を稼いで、という状況でした。

僕自身、当時はデザイナー職として入社しましたが、3年くらい経った時に「エンジニアにジョブチェンジしてみないか」と言われ、そこからエンジニアとして受託開発を何年か経験して、その後「クロジカ スケジュール管理」の開発に携わり始めました。

「新規事業をやりたい、そしていい会社を作りたい」入社の決め手

松岡:新規事業に携われる点に魅力を感じたとのことですが、それ以外に面談を通して感じたメグリの魅力はありますか?

篠田:面談時に、社長が「エンジニアが幸せになる会社にしたい。そしていい会社を作りたい」とすごく言っていて。当時は社員数も十数名しかいなかったのですが「 あれ?この人は本気でそう思ってるかもしれないな」と思ったんですよ。実は、その時に別の会社の内定も頂いていましたが「この会社に何か引っかかるものがあるな」と思って。「新規事業をやりたい」っていう熱意と、「いい会社を作りたい」っていう想いに共感しました。

島津:今のお話を伺っていて、TOWNも「エンジニアにとって、社員にとって、いい会社にしたい」という気持ちが強くあって、受託開発から自社サービスにガラッと事業を変えたんですよね。「エンジニアにとって働きやすく、働きがいのある会社にしたい」という想いが、どちらの会社にも共通していますね。

「自社サービスがあって、色々挑戦できる会社がいい」 入社の決め手

松岡:岩崎さんは、いかがですか?

岩崎:僕が入ったのは設立して1年くらいだったので、その時社員は6名しかいなくて、面接もアパートの一室で行われました。面接で座ったソファーのすぐ隣に皆いる、みたいな(笑)。

僕は元々情報系の大学を卒業してデザインの専門学校に行きました。当時は、まだ「どういう会社がいい」とかは分かっていない状態でした。ただ「あんまり大きい会社は多分合わないな」というのはあって。なので、会社を選ぶ時も小さいところばかり見ていました。

デザイン会社の求人も見ていましたが、どうしてもクライアントから要望のあったデザインを作るので、自由にできる部分が少ない印象がありました。その中でも、TOWNの場合は自社サービスがあるので、将来的に色々自由にできそうだなと魅力に感じ、選びました。

「いろんなことをやりたい!」ベンチャー企業への就職

松岡:ネームバリューがある大手企業も選択肢としてあったと思うのですが、規模感が小さいベンチャー企業を選んだきっかけは何ですか?

篠田:僕は、前職が規模の大きい会社でした。「大きい会社の方がお金もあるし、大きいことができるだろう」と思っていましたが、どちらかというと動きが遅いことの方がネックでした。会社の中で話を通したりとか、根回ししたりとか。さらに方針転換で、簡単に事業が取りつぶしになるということがあって。
僕は「いろんなことやりたい」とか、「新しいことにチャレンジしたい」っていう意欲が割と強いので、ずっと会社に足を引っ張られるのは嫌だなと思いました。

岩崎:僕は当時を振り返ってみると、そんなに深い考えがなかったなーという(笑)。大手の会社とかだと、多分自分の意見とかはあまり主張できないだろうな、という考えはありました。当時から割と「なんでもやりたい」「幅広くやりたい」っていう思いはあったので、小さいところの方が色々手出しはできるかなっていうのは考えていました。

受託開発から自社開発へ

島津:受託開発をやめて、プロダクトを持つようになった理由って何ですか?

篠田:やはり受託開発だと、どうしても自分たちで何かを決めたり、自分たちのペースで仕事をすることができないので。クライアントの都合に合わせてスケジュールがカツカツだったり、予算が削られたりとか。無理して仕事しなくちゃいけないことが起きがちです。

社員を幸せにしようと考えた時に「自分達のやりたいことを自分達で決めてやっていける方が幸せなんじゃないか」というのが根底にあります。ただ、何のサービスで新規事業を立ち上げるかについては、正直めっちゃ苦労しました(笑)。

松岡:どんな新規事業案が出たのですか?

篠田:もともとやっていた釣り業界向けの事業の他にもアイデアとしては何個かありましたが、テストまで行っても結局は立ち上がりませんでした。
今もネタ帳に当時の記録が残っていて、ちらっと見てみたら「お店の出前を誰かに肩代わりしてもらう」という事業案も書いてありました(笑)。

岩崎:聞いたことのあるサービスですね(笑)。

篠田:ただ僕が思いつかなかったのは、それを素人にやってもらうってこと。当時の僕の案には、バイク便の人や何か配達をしてる人にお願いすると書いていたので、多分タクシーとかを考えてたと思うんですよ。素人に運んでもらう発想は斬新でした。
新規事業って、それをいけると思えるかどうか、やるかやらないかの差があります。

受託を経験したからこそ、生まれた『MGRe』

島津:プロダクトが誕生した背景や、最終的に「これでいこう」と決めたきっかけは何ですか?

篠田:MGReを作るに至った経緯は、釣りの事業が上手くいかず諦めようとしていた時に、ちょうど「MUJI passport」という無印良品のオムニチャネルアプリの開発をしていたことがきっかけです。「これと同じようなアプリを作りたい」という話がポンポンくるようになって。「これを事業にした方がいいんじゃないの、自分たち得意だし」となりやることにしました。

島津:最初から軌道に乗りましたか?

篠田:いや、最初は思ったほどプロダクトマーケットフィットするサービス内容に持っていけなかったです。

岩崎:どういうきっかけでフィットしたのですか?

篠田:受託開発の案件で、大きな規模のエンタープライズ向けのアプリ開発の依頼が、ちょうど同じタイミングで2つあったんですよ。このアプリって1から作るとすごく大変です。ですが、実は欲しい機能って限られてるんですよ。クーポンが欲しいとか、お店の情報がすぐわかる検索機能が欲しいとか。ベースとなる機能はプラットホームで用意して、その上に継ぎ足し開発ができるようなものを作れば、これはいけるんじゃないかってなって。

それで、その受託案件を作りながら、プラットホームを作ろうと同時に動いた結果、MGReというプロダクトが生まれました。

創業当初に生まれた『クロジカ スケジュール管理』

岩崎:「クロジカ スケジュール管理」は自社プロダクトとして、創業当時からありました。元々、TOWNの創業メンバーがそれぞれ別の場所、家の一室で仕事をしていた時に、情報共有のために「こういうツールが必要でしょ」ということで開発を始めたことがきっかけで誕生しました。

しかし、もちろんこれだけでは全然売り上げは立たなくて。なので、最初の頃は受託でHPを作るという案件もやっていました。その後、だんだんと「HP制作だとどうしても単価が安いので、システム開発の方にシフトしていこう」となり、受託開発の中でも数百万という規模のシステム開発を始めました。フレームワークをベースに、ほぼ機能0から作っていくという案件もありました。

島津:どのように自社プロダクトは広まっていったのですか?

岩崎:「クロジカ スケジュール管理」もかなりサービスの適用形式を色々試しました。最初は、パッケージソフトとしてライセンス発行して売ることをしていました。

その次に「もっと認知を広めないといけない」と思って、オープンソース版で適用を始めました。その結果、認知をだいぶ広めることができて、そこからカスタマイズの案件をもらえるようになりました。

ですがカスタマイズ案件も結構ニッチなものが多かったりして、そのクライアントにだけ作ったけど、他に展開できないとか、しんどい状態が続いていました。

終電、休日出勤、案件炎上・・・失敗から学んで自社開発へ

島津:「クロジカ スケジュール管理」の開発だけでなく、受託の案件も同時並行でやられていたのですね。

岩崎:はい。受宅開発の案件が、次第に金額の規模が大きくなってきて、もう本当にスケジュールもタイトになって。

受託開発では3月末納品 っていうケースが多かったのですが、2年連続でプロジェクトが大炎上してしまって(笑)。終電帰りや休日出勤して働いても間に合わない、みたいな。それで人を追加投入しても、何も状況は変わらなかったです。

それで、このままだと社員にとっても、顧客にとってもよくないので「受託開発をやめて自社サービスに切り替えます」と会社の方針を大きく変更しました。

「クロジカ スケジュール管理」は会社が完全自社サービスに切り替える少し前から、クラウドサービスとして提供し始めました。最初の頃はクラウドと言っても、オープンソース版をこちらでインストールして、ホスティングするぐらいのところから始めました。そこからもう少し構成をしっかり作って、サブスクリプションサービスとして提供を始めました。そして、そちらの開発にだんだんシフトしていきました。

「本当に必要とされてるものだけ作りたい」

島津:メグリさんの場合は受託を経たからこそニーズが知れてプロダクトを作ることができたとのことでしたが、 TOWNの場合は受託の経験はどのように反映されていますか?

岩崎:受託だと自分たちでコントロールできない部分がかなり多くあります。 「クライアントから言われたから作るけど、この機能は絶対使わないだろう」とか。ちょっとモヤモヤしながら開発をしていました。

本当に自分たちが良いと思うものを作って、お客さんからフィードバックをもらって機能改善していく方が健全とは思っていて、「本当に必要とされてるものだけ作りたい」という考えが受託の時に固まっていきました。

── メグリさんもTOWNも「社員にとっていい会社にしたい」「クライアントにとっていいサービスを作りたい」という思いあって受託から自社開発に転換したことが伝わりました。

後半では、自社開発へ転換してからのお話を、プロダクトや開発を中心に詳しくお伺いしていきます。

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島津 由
TOWN株式会社で広報をやっています。「TOWNの魅力を伝えたい!」と日々奮闘中。

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